苫小牧はじめて物語

山下 十治郎

(やました じゅうじろう)

2018年9月30日公開

山下 十治郎

『大苫小牧を囲繞せる人』より

明治17年

山梨県東山郡平等村(現在の山梨市)に伊藤 金治郎の息子として生まれる
山梨県の山下家に養子縁組する
横浜グランドホテルでコック修行

明治41年

長男・誠一 横浜で誕生

年代不明

札幌市豊平館にて勤務

明治43年

長女・すみ子 札幌で誕生

明治44年

皇太子(大正天皇)行啓時、料理人
として随行
王子製紙苫小牧工場に奉職

大正2年

次男・正 苫小牧で誕生

大正5年

三男・文雄 苫小牧で誕生

大正7年

王子倶楽部を退職

大正8年8月10日

現在の本町に第一洋食店を開業

大正10年

コイノボリ大火で店舗を焼失
3ヶ月後に新装開店

大正14年

苫小牧で最初のラジオを購入

昭和20年4月16日

62歳で逝去

北海道移住と王子倶楽部

第一洋食店の創業者・山下十治郎は、山梨県の出身で、横浜のグランドホテルにてフランス料理の修行をした。後に北海道に渡り、独立して苫小牧に洋食店を開業し、苫小牧に洋食文化の礎を築いた人物である。 明治43年、勤めていた豊平館(札幌)から苫小牧の王子倶楽部に派遣され、工事落成パーティーの料理を担当したこたが、十治郎と苫小牧の最初のつながりとなった。翌年、皇太子(後の大正天皇)の北海道行啓時にはコックとして同行し、新冠御料牧場、王子製紙工場などで料理を担当した。 その後、王子製紙苫小牧工場の迎賓館、王子倶楽部の初代料理長として約8年に渡りその腕を振るい、東京から来る客や工場幹部の料理を担当していた。  
第一洋食店の創業者・山下十治郎は、山梨県の出身で、横浜のグランドホテルにてフランス料理の修行をした。後に北海道に渡り、独立して苫小牧に洋食店を開業し、苫小牧に洋食文化の礎を築いた人物である。 明治43年、勤めていた豊平館(札幌)から苫小牧の王子倶楽部に派遣され、工事落成パーティーの料理を担当したこたが、十治郎と苫小牧の最初のつながりとなった。翌年、皇太子(後の大正天皇)の北海道行啓時にはコックとして同行し、新冠御料牧場、王子製紙工場などで料理を担当した。 その後、王子製紙苫小牧工場の迎賓館、王子倶楽部の初代料理長として約8年に渡りその腕を振るい、東京から来る客や工場幹部の料理を担当していた。  

苫小牧で初めての洋食店

十治郎は、大正7年に王子製紙を退職し、翌年に苫小牧で初めての洋食店を開いた。第一洋食店の名前は、後の王子製紙社長・藤原銀次郎が、十治郎の料理は北海道一美味であるとして「北海第一楼」と名付けたが、この店名は洋食店にはそぐわないとして、銀次郎の了解を得て、第一洋食店に変えたいきさつがある。 開店当初は王子製紙関係の客層が大半を占めていたが、徐々に町の人々も足を運ぶようになっていった。 第一洋食店が開店した当時の苫小牧の人口は、13647人で人口5万人以上でなければ洋食店の経営は成り立たないといわれた時代に宴会なども取り入れた経営で繁盛した。 「本物を崩すな」という十治郎の姿勢と一流ホテルで鍛えたフランス料理の腕が支持され、第一洋食店は苫小牧を代表する洋食店となった。
十治郎は、大正7年に王子製紙を退職し、翌年に苫小牧で初めての洋食店を開いた。第一洋食店の名前は、後の王子製紙社長・藤原銀次郎が、十治郎の料理は北海道一美味であるとして「北海第一楼」と名付けたが、この店名は洋食店にはそぐわないとして、銀次郎の了解を得て、第一洋食店に変えたいきさつがある。 開店当初は王子製紙関係の客層が大半を占めていたが、徐々に町の人々も足を運ぶようになっていった。 第一洋食店が開店した当時の苫小牧の人口は、13647人で人口5万人以上でなければ洋食店の経営は成り立たないといわれた時代に宴会なども取り入れた経営で繁盛した。 「本物を崩すな」という十治郎の姿勢と一流ホテルで鍛えたフランス料理の腕が支持され、第一洋食店は苫小牧を代表する洋食店となった。

苫小牧第1号のラジオ

ラジオ放送開始の年の大正14年に、第一洋食店でラジオを購入。苫小牧で第1号となるラジオを店内に設置した。当時は大変珍しがられ、大勢の人がラジオを見に店に客があふれていた。このラジオは君嶋書店(現在の株式会社キミシマ)創業者の君嶋祖傳を通して購入したものである。 近隣の東小学校で一般向けに公開した時には、電波の状況が悪く雑音ばかりで、詰めかけた人々に「これは津軽海峡の波の音です」と祖傳が釈明したことは、今でも語り草となっている。 このように新しい物を取り入れるのが好きだった十治郎は、最先端の話題を町民に提供してきた。
ラジオ放送開始の年の大正14年に、第一洋食店でラジオを購入。苫小牧で第1号となるラジオを店内に設置した。当時は大変珍しがられ、大勢の人がラジオを見に店に客があふれていた。このラジオは君嶋書店(現在の株式会社キミシマ)創業者の君嶋祖傳を通して購入したものである。 近隣の東小学校で一般向けに公開した時には、電波の状況が悪く雑音ばかりで、詰めかけた人々に「これは津軽海峡の波の音です」と祖傳が釈明したことは、今でも語り草となっている。 このように新しい物を取り入れるのが好きだった十治郎は、最先端の話題を町民に提供してきた。

親子3代・第一洋食店

ハヤシライスやビーフシチューといった洋食を苫小牧で初めて手掛けた十治郎の跡を2代目の正が継ぎ、店を発展させた。 店を受け継いだ正は、時代の流れを受け、本町から錦町への移転を決める。店舗は、民芸設計で有名な伊東安兵衛により改装された本格的な民芸建築となっている。 また、店内はクラッシックな家具でしつらえ、音楽は日本人の好みにあったものを取り入れるなど、芸術に関する造詣が深い正による洗練された空間づくりが施されている。 3代目・明は先代の姿を見て学び、伝統の味を引き継ぎ、地域文化にも貢献してきた。 十治郎が築いた第一洋食店は、2代目、3代目と受け継がれ、平成31年に100年の節目を迎える。「手間と時間は惜しまない」が家訓という山下家の洋食は、苫小牧の人だけではなく、道内外から訪れる人々にも愛されてきた。第一洋食店は長い歴史を持つ洋食店であり、伝統の味は今も守り続けられている。
ハヤシライスやビーフシチューといった洋食を苫小牧で初めて手掛けた十治郎の跡を2代目の正が継ぎ、店を発展させた。 店を受け継いだ正は、時代の流れを受け、本町から錦町への移転を決める。店舗は、民芸設計で有名な伊東安兵衛により改装された本格的な民芸建築となっている。 また、店内はクラッシックな家具でしつらえ、音楽は日本人の好みにあったものを取り入れるなど、芸術に関する造詣が深い正による洗練された空間づくりが施されている。 3代目・明は先代の姿を見て学び、伝統の味を引き継ぎ、地域文化にも貢献してきた。 十治郎が築いた第一洋食店は、2代目、3代目と受け継がれ、平成31年に100年の節目を迎える。「手間と時間は惜しまない」が家訓という山下家の洋食は、苫小牧の人だけではなく、道内外から訪れる人々にも愛されてきた。第一洋食店は長い歴史を持つ洋食店であり、伝統の味は今も守り続けられている。

<参考資料>

  • 「大苫小牧を囲繞せる人」竹内 一/編 北海平民新聞社 1925
  • 「苫小牧市史 上巻」苫小牧市/編 苫小牧市 1975
  • 「先人が語る苫小牧」苫小牧郷土文化研究会/編 苫小牧郷土文化研究会 2001
  • 「父は明治のコックさん」山下 正/著 近代映画社 2007
  • 「とまこまい博物誌」ふるさと文化セミナー 2013
  • 「王子製紙と苫小牧よもやま話」新沼 友啓/著 ふるさと文化セミナー 2013

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